今の若い人は焦りすぎ。仕事は焦って結果をださなくてもいい
福島氏:まずは、電通時代のお話を聞かせてください。そもそも電通を選ばれたのは、どのような理由だったのでしょうか?
佐藤氏:実は、もともと本が好きだったので、出版に行きたいと思っていたんです。ですが、当時はマスコミ系の面接開始が遅く、ラッキーにも先に電通で内定がでました。メーカーも金融もテレビも新聞も雑誌も、あらゆるメディアを扱えるのが広告の魅力。電通もきっと面白いだろう、と思って決めました。 ただ、当時は、就職したら一生そこで働くという価値感なんですよ。だから、キャリアを積んで次に行こう、といった考え方はしていませんでした。
福島氏:なるほど。電通では当時どのようなお仕事を?
佐藤氏:新卒当時、最初は営業をやるのかと思っていたんですが、なぜかクリエイティブ試験に受かったんです。もともと制作を専門に勉強してきた人達ばかりの中で、なぜか。入社してからは関西支社で、コピーライティングやCMプランニングをやっていました。花形の職種に就けたはいいものの、その中でやっていくのは結構苦労しましたね。
福島氏:佐藤さんは、意外にも20代ではなかなか芽が出ずに苦労された、というお話を別の記事で拝見しました。今振り返ってみると、なぜだと思いますか?
佐藤氏:昔は今と違って、テレビや新聞など、露出できるメディアが最初から決まっていて、15秒や30秒のCMの中でいかに目立つかが重要でした。バッと目立つクリエイティブ勝負の中では、他の人の方が全然うまかった。僕はどちらかと言うと、文章とか、ゆっくりとコミュニケーションを取る表現の方が得意だったから。CMで言えば長尺モノ、60秒とか90秒のCMが得意でした。
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でも、当時あっという間に芽が出た人たちで今もトップに残っている人は、ほんとにいなくて。みんなどこかに行っちゃった。ピークって、そんなに長く続くものではないんだと思います。20代でピークを迎えて、あとはゆっくり下り坂って辛いです。あっという間に消費されて終わってしまう。人生は長いのだから、徐々に上り坂を登っていって、後ろのほうでピークを迎えたほうが楽しいと僕は思います。
福島氏:早熟の方々は、後々辛いということでしょうか?今の時代、どちらかというと早熟を賞賛する傾向があると思いますが。
佐藤氏:そうですね。今は若手起業家がクローズアップされることも多く、早熟をよしとする傾向が世間にはありますよね。でも、早熟だとどうしても、早くから自己模倣に陥りがちです。自分の成功体験をずっと模倣し続けてしまうんです。自分の幅を知らず知らずのうちに狭めてしまう。それでは長い人生、後までもたない。
福島氏:成功者に限らず、自分が自己模倣に陥っていることに気付くのは難しいことだと思います。何か気付く方法はあるのでしょうか?
佐藤氏:この半年、あるいは1年、新しい分野に挑戦していないとか、自分が安心して読める分野の本しか読んでいないとか。自分を振り返ってみて、新しいことに挑戦していなければ、ほぼ自己模倣になっているといっていいと思います。
福島氏:安住の地を見つけたと勘違いしてしまうんでしょうかね。
佐藤氏:その方が楽ですしね。でも、時代の動きが早い中、半径5m程度の狭い範囲で立ち止まっていることを許容できるのは、せいぜい2~3年だと思う。自分の中で革新が起こっていないのであれば、一度疑ってみた方がいいと思います。
きっかけは阪神大震災。いろんな気付きがキャリアをつくっていく
福島氏:佐藤さんは苦労された20代の後、何が変わるきっかけになったんでしょうか?
佐藤氏:革新のきっかけは、ネットを始めたことでした。1995年、インターネットがまだまだ黎明期の頃、自分で個人サイトを作りました。34歳の時です。僕は阪神大震災で被災したのですが、被災した夜にサイトを見回っていたら、個人サイトで必要な情報を発信している人がいたんですね。水はどこにあるのか、食料はどこにあるのか、被災地の状況はどうなっているのか、マスメディアには載らないそういった生の情報が発信されていました。そうか、ネットによって必要とされる情報を必要な人に届けることができるようになったんだ、と、それが自分の中でものすごく大きな気づきになりました。
福島氏:阪神大震災を経験されているんですね。そこで、ネットの有用性に気が付いた。
佐藤氏:そうです。そして個人サイトを始めたのです。まだ日本に個人サイトなんて100くらいしかなかったころの話です。今では当たり前のことなんですが、ネットでは相手からちゃんと反応がかえってくるから、『伝える相手』のことをよく考えるようになりました。CMとかってテレビの向こう側にいる人の反応とかわからないじゃないですか。それがわかる。そうするとその人のことを考えるようになる。ホント当たり前なんだけど、でも、ネットが出る前の広告ってそこが疎かにされていたのです。個人サイトを始めたおかげで、広告業界の中ではそれに早く気が付くことができた。
また、自分のサイトに書いていたコラムが本にもなり、自分のリスクで表現物を出すようになると、CMで自己表現しようとか賞を獲ろうとかいう考えもなくなった。自分の個人発信が増えれば増えるほど、伝えたい相手のことを重要視し、商品をちゃんと伝えて、ちゃんと売ろう、という考えに変わっていきました。
福島氏:CMが主流の時代には、革新的な考え方ですね。でも、その重要性を説いて実行に移すのは、当時はなかなか難しかったのではないでしょうか。
佐藤氏:そうですね。でも、ネットが出てきてから徐々にですが、広告業界もメディア含めて全体を考える、という流れになっていきました。 要するに、CMを作るというCMプランナーじゃなくて、キャンペーン全体を考えるコミュニケーション・デザインのような、全体を設計する方向にゆっくり流れが来ていたんです。そして僕は、そういう全体像を考える企画書を書いてみると、他の人よりうまかった。
当時、コミュニケーション・デザインという概念はありませんでしたが、それが自分の中で確立されるのに5年くらいかかりました。それが理解してもらえるようになり、関西支社から東京に呼び戻される形で異動が決まりました。
ネットを始めたことが僕のキャリア形成の大きな転機でした。自分の幅を広げて、いろんな気付きを得ることが、自分のキャリアを作っていくんです。
サラリーマンの醍醐味は「理不尽な異動」?自分の幅をどう広げるかがキャリアの鍵
福島氏:30代半ばまで芽が出ないという状況の中、辞めずに仕事に立ち向かっていったモチベーションは何でしたか?
佐藤氏:『サラリーマンの醍醐味は、理不尽な異動』って、僕はよく若手によく言うんです。会社の都合で望まない場所や部署に異動になると、自分ではなかなか変えられないことに挑戦する機会にもなり、結果的に自分の幅を広げてくれる。僕は新卒で関西支社に配属になりました。ずっと東京で育ったので、縁もゆかりもない大阪で確かに当時は苦労しましたが、自分の中の幅が広がり続けているっていう実感があったから楽しめたんです。今は大阪に配属してくれたことをどれだけ感謝しているか。あの頃に大阪にいたからこそ得られたことがたくさんあり、食関係の本をたくさん出版できたのも、大阪にいたからだと思います。
福島氏:なるほど。でも、理不尽な異動ってなかなかポジティブに捉えるのが難しいものですよね。それを自分の幅を広げるきっかけと捉え、前向きに楽しめるのはすごいことです。
佐藤氏:当時、僕もそれなりに悩んでいたので、もしかして、そう助言してくれた先輩がいたのかもしれません。自分の中の幅が広がり続けてるっていう実感があったから、関西でも楽しむことができました。
今考えると、自分のキャリアをわりと長期的に見ていたんだと思います。20代で賞を取っていた人がどんどんダメになっていくのを見ていて、「ピークは後の方がいいんだ」と思っていた。仮に70歳まで活動するロングスパンの仕事人生だとすると、30歳というのはまだまだ仕込みの時期。料理の工程で言うと、まだ野菜を切ってるところくらい。そういうイメージが当時からあったんだと思います。
福島氏:私、まさに今34歳なので。
佐藤氏:僕の人生が変わった歳ですね。まだソースも作り始めていないような下ごしらえの時期ですよ。焦る必要はありません。目先の仕事だけじゃなくて、自分の幅を広げるための努力も惜しまないでください。その方が後々伸びるから。
自分の幅を広げ続けるために、アウトプットをし続ける
福島氏:佐藤さんが独立されたのは2011年でつい最近のこと。一般的にみれば、独立のタイミングは30歳前後が多いような印象ですが、この時期に独立された理由は?
佐藤氏:独立する機会は、初期の頃からありました。でも、それでは自分が成長する感じがしなかったんですよ。辞めると自分の好きなことをし始める。そうすると、思いもよらぬ仕事とか降りかかってこないんです。それでは自分の幅が広がらない、ということに対する恐怖はあったと思います。
それが、政治の世界に触れたり、ボランティア活動に関わったりすることで、今まで見えなかった世界が見えてきた。広告業界という一つの業界で、商品を売るという分野で蓄積してきた自分のテクニックや知見を、活かせそうな分野が他にもあるということに気が付いた。政治やボランティアの世界は、そういう意味ではまったく手付かずの状態でした。自分が役に立てそうだと思ったんです。それに、僕は70歳までキャリアを考えていましたし、たとえ会社で役員になって大きな会社の経営のことは分かっても、辞めて個人に戻ってからはそれはあまり役に立たないかもしれない。だから、会社で局長になる前には辞めようと思っていました。大きくこの2つが理由かな。
福島氏:会社に所属していることが、強制的な変化に繋がり、結果として自分の幅を広げ、成長を促すと先ほど仰っていました。でも、独立することで変化しづらい環境に身を置くことになってしまう気がします。今、佐藤さんが気を付けていることはありますか?どうやって自分を変化させ続けているんでしょう?
佐藤氏:個人サイトを20年やっていると、アウトプットをしないとインプットはないということがわかってくるようになります。美味しい店のレビューとか書評とか、アウトプットすればするほど、周りの人がどんどん反応して教えてくれるので、逆説的にインプットが増えていく。自分の持っているテクニックと知識だけでやっていると擦り切れて、5年くらいで古くなってしまいますよね。それだとまずいので、電通を辞めてからは今まで以上にアウトプットするよう意識しました。
発信をするほどに、自分が前に進んでいきます。自分が持っているものを出すと、反応が返ってきます。この反応を咀嚼して、改めて自分が考えていることをアウトプットしていくと、前へ進み、次の本も書ける。情報を得るために、情報を発信することを自分に課しています。
後編へ続きます
「人生は長い。他人に消費されるな。」これからの時代に必要なキャリア形成:佐藤尚之×転職会議事業部長対談 後編
- 【プロフィール】
- 佐藤尚之氏
1961年東京都生まれ。株式会社電通にてCMプランナーやクリエイティブ・ディレクター、コミュニケーション・デザイナーなどを経て、2011年、50歳の時に独立。現在はコミュニケーション・ディレクターとして、広告の枠にはまらない様々な取組みに従事している。1995年より個人サイト「www.さとなお.com」を運営。 受賞歴として、JIAAグランプリ、新聞広告賞グランプリ、広告電通賞金賞、ACC賞など受賞多数。代表作は「スラムダンク1億冊感謝キャンペーン」「星野仙一優勝感謝新聞広告」「NECショートフィルム『it』」など。
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