きっかけは9.11。テロの悲劇から国際政治の世界を目指す
--Reinaさんは生まれも育ちもアメリカなんですよね?
ニュージャージー州生まれ・ニュージャージー育ちです。日本人の父母は、それぞれ日本の大学を出てからイリノイ州の大学院で知り合い、言語学を学んでいた母は英語を教えるなどしていて、父はIT分野で日本企業の海外支社に勤めています。
--Reinaさんのご経歴から、幼少の頃から英才教育を受けていたのではと想像しますが、家庭ではどんな教育方針だったのでしょうか?
うちは決してエリート一家じゃないですよ。両親は、自分たちの意思でアメリカに渡り、学び、働き、暮らすことを決めた人たちで。自分が自分の思うように動くことを大切にしてきました。教育方針と言えるものがあれば、「自分の人生なのだから、自分で決めて、自分で責任をとりなさい」というものでしょうか。厳格なルールはなく、振り返ってみても、親から「頑張って勉強をしなさい」と言われたことは一度もありませんでした。
--政府関係の仕事を志望したのはご自身の意思からのようですが、10代の頃はどのようなキャリアビジョンを描かれていたのでしょうか?
中学生の頃、9.11を経験したことが大きなきっかけとなりました。ニュージャージーはテロが起きたニューヨークと目と鼻の先。身近に被害を受けた人もいて、どうすればあのような悲劇を止められるのだろうと考えたところ、政府関係の仕事に就くのが一番の近道だと思ったんです。そのためには、良い大学に進学するのが有利と考え、国際政治学やテロリズムの原理に興味を持ち始めました。
挫折をエネルギーに、猛勉強した学生時代
--将来の目標が見定まってからの学生時代は順風満帆でしたか?
まったくそんなことはなく、大きな挫折も経験しました。第一志望はアイビーリーグのペンシルバニア大学に行きたくて、何度もキャンパスに足を運んだほど。成績も悪くなく、小論文も一生懸命取り組み、ボランティアにも積極的に参加するなど完璧なパッケージをつくったはずなのに、ウエイトリスト(保留)になってしまって。受かる自信があっただけに、本当に悔しい思いをしました。こんなに悔しい思いはもう二度としたくないというほど。その後は死に物狂いで再び勉強しました。
--負けん気がすごいですね(笑)
ちょっとすごいですよね(笑)。第一志望を断念した後は、他の大学に目を向けると、ブラウン大学の国際関連のメジャーの中に、当時としては珍しいグローバルセキュリティーという分野を学べることが分かって。自分が志す方向と合致していたので進むことにしました。
FBIの最終面接に落ちて、自分の中の違和感に気づく
--ブラウン大学に進学したあとの数々の職業経験がすごすぎると話題になるReinaさんですが、特に印象的なエピソードを教えていただけますか?
大学卒業のタイミングで、CIAの内定が決まっていたのですが、もっと勉強したいという思いからハーバード大学院に進学することにしました。その頃、クリントン前大統領の事務所でインターンをしていたんですが、私の当時の役割は、クリントンさんが会談する方の発言や国の事情を事前にリサーチし、どういうレスポンスが適切かを割り出して資料にまとめるというもので。クリントンさんは、とある国の現大統領と会談する際も、一度資料に目を通しただけで会談中に数字データから先方の発言などをそらですべて言えるほど暗記してしまうんですよね。やはり国を治めていただけの人は、次元が違うなと痛感させられました。
--なかなか得難い経験ですね。このあとインターポール(ICPO・国際刑事警察機構)での経験を経て、FBIを受けるチャンスを得たということですが?
- インターポール時代に知り合った人の推薦で受けることにしたんですが、FBIの審査ってみなさんが想像する以上に長くて。国の安全を守る中枢機関なので、素行に問題がないか、周囲の友人関係にも調査が入ったり、1年程度試験が続くので、待っている間にもテロ関連の仕事ができるロイター通信で仕事をしたり。いよいよ最終の段階で、ウソ発見器を用いたYES/NOクエスチョンがありました。
内容は「アメリカを好きですか?」というような本当にシンプルな質問で、私は正直にすべて答えたつもりでしたが、数値が安定せず、結果的には「そこにウソがあるのでは」と判断されて落ちてしまいました。この時は本当に残念に思いましたが、一方で、よくよく自分自身のことを見つめ直す機会にもなりました。
--心のどこかに、偽りがあったかもしれないということでしょうか?
そうではないんですが、本当の意味で、私自身がFBIで働く心の準備ができていなかったんだと思います。中学時代からずっと国際関係の仕事をしたいと考えて、そこに向けてフォーカスして生きていると、自分のなかでそれ以外の可能性というのが見えなくなってしまっていたのかもと。
もしかすると、もっと前の段階から「これはちょっと違うのかも」「他に何かできることがあるかも」とどこかで思っていたと思うんです。だから、色んな仕事を転々として、ここに行ってみよう、でも合ってないということを繰り返していて。でも一度決めた道なので、無意識的にその気持ちを打ち消していたのかもしれません。
だから、すごく悔しい思いをしたんですが、別の自分の可能性を見つめ直す機会になったんです。無我夢中で頑張っていた分、自分自身を深く見つめる機会を逃していたのかもしれない。だから、自分が本当に進みたい道や、やりたいことはなんだろうと冷静に考えるための良いきっかけになり、ある意味あきらめる理由ができたんだと思います。
これまでの目標から一挙に方向転換。そして、日本へ
--改めて自分自身を見つめ直した結果、選択肢として日本で働くという考えが生まれたんでしょうか?
正確には働くことが前提ではないんですが、とにかく一度、日本に住んでみたいという気持ちがあったことに気付いたんです。日本に旅行で何度か訪れたことはあっても、住むのと滞在するのでは雲泥の差がありますよね。日本というものをもっと体験するために、日本に住みたい。それから仕事を探そうと思ったんです。
ニューヨークで政府関係の仕事をしていれば、アイビーリーグ出身の人に出会うことはそれほど珍しくありませんが、日本を舞台にすると、ひょっとしたら私のバックグラウンドは大きな武器になるんじゃないかと思って。決断したのは、26歳の時です。
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