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フリー素材モデルという未踏の領域でNO.1を目指す:大川竜弥さんインタビュー【前編】

大川竜弥という名前は知らなくても、その顔を見ると「どこかで見たことがある」という人は多いはず。バナー広告や記事のイメージ画像の中でさまざまなポーズを決める大川さんは、自らを「フリー素材モデル」と名乗ることで、それまでの“フリー素材のモデル”という概念に変化をもたらし、セルフブランディングを成功させた人。ネット世界の潜在性を信じ、新ジャンルへ挑戦した背景についてお話を伺いました。
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フリー素材モデルという未踏の領域でNO.1を目指す:大川竜弥さんインタビュー【前編】

大川竜弥という名前は知らなくても、その顔を見ると「どこかで見たことがある」という人は多いはず。バナー広告や記事のイメージ画像の中でさまざまなポーズを決める大川さんは、自らを「フリー素材モデル」と名乗ることで、それまでの“フリー素材のモデル”という概念に変化をもたらし、セルフブランディングを成功させた人。ネット世界の潜在性を信じ、新ジャンルへ挑戦した背景についてお話を伺いました。
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フリー素材モデルになるまでは、すべてを流れに任せてきた

――大川さんは、とても新しいかたちのキャリアビジョンをお持ちのようですが、昔から今のような働き方をすることになると考えていたのでしょうか?

いえ、まったく。僕は結構早い段階で勉強を諦めていたので、「肉体労働者になるのかな」ってぼんやりと思っていました。小・中学生の頃は、実家の八百屋の手伝いをして、そのお小遣いで映画館に行くのが好きだったということもあって、映画を学べる専門学校に入学したんですが、家の事情もあって結局1年でやめてしまいました。

それから、家の近所にあったユニクロに入ったんですが、当時はフリースがブームで、テレビの特集などでスタッフの教育が厳しいと取り上げられていたので、ここで働き続けることができたら自分自身が成長できるかもしれないと思ったんです。

たまたまその店は全国売り上げトップ5に入る店舗で、10台ほどあるレジはいつも列ができていて、お客さんとして行っても明らかに忙しいのが分かるほど。毎日いろんな書類や資料を読むので、今考えるとそこそこ大変だったとは思いますが、いろんな年の人がいて、勉強にもなることが多かったので楽しかったです。19歳から23歳くらいまで働きましたが、おかげで社会人としての基礎は培われたと思います。

 
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――その後はジャンルを問わず、いろんなお仕事を経験されていますよね。

ユニクロの後はWEBの開発会社に1年ほど入りましたが、その後4~5年の間は、横浜にあるライブハウスで店長をしていました。そのライブハウスの親会社がザ・グレート・サスケさんの事務所だったことから、サスケさんのマネージャーというか付き人のようなかたちでパチスロ台の営業に行ったり、選挙の手伝いをしたり、雑誌やテレビの取材など、芸能関係の現場に同行するようになりました。

――なかなかない展開ですね。

流れに身を委ねていたらそうなっていただけなんですが(笑)。僕、小さい頃に初めて後楽園ホールで見たプロレスがサスケさんの試合だったんですよ。まさか大人になってから、あの頃リングの中で闘っていた人と一緒に仕事することになるとは思ってもなかったので、不思議な縁を感じています。

――何かの力で引き寄せられたようなお話ですね。

そうですね。ライブハウスの仕事をすることになったのも、ユニクロ時代の仲間が紹介してくれたことがきっかけで。面白そうだなという直感に従い、WEBの会社を辞めました。僕は基本的に、自分から環境を変えようと思って転職したことはなくて、誰かに声をかけてもらって、その時やりたいと思えば挑戦するという風に流れに身を任せてきたんですよね。あまり先のことも考えないタイプだと思います。

“誰もやっていない肩書き”を名乗れば、競わず勝てる

――「フリー素材モデル」の仕事を始めることになったのは、どういった経緯からでしょうか?

2010年の年末頃、体調を崩してライブハウスの仕事を辞めたんですが、少し良くなったので契約社員として携帯電話を売る仕事をしていたんですよ。ですが、お金を貯めてやっていこうと思っていたら、交通事故に遭ってしまい、立ち仕事ができなくなってしまって。

この先どうしようかなと思っていた時にネットを眺めていたら、「はてなブックマーク」のホットエントリーに入るような「フリー素材サイトまとめ」みたいな記事を見つけて。その中にあったPAKUTASO(ぱくたそ・フリー素材配布サイト)がモデルの募集をしていて、それまで表に出て自分を見せるような仕事をしたことはなかったのですが、顔を出すだけなら僕でもできるかもしれないと思ったんです。

――そこでも面白さを感じ取る直感のようなものがあったのでしょうか?

 
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当時、フリー素材のモデルという仕事は、タレントを目指す卵の人が下積みとしてやるようなところで、自分から「フリー素材のモデルをやってます」とアピールする人なんていなかったんですね。そこをもし“フリー素材モデル”という肩書きを前面に押していく売り方をしたら、他の人がやっていない領域なので、チャンスがあるかもしれないと思ったんです

――なるほど。特にモデルとして表立った活動がしたいというわけではなく、新しいポジションを確立してみたいというのが強かったということですね?

ええ、僕は人前に出るのはむしろ苦手で、今でもできればひっそりと暮らしたいくらいなんですよ。インターネット上に顔を晒しても、良いことなんてそんなにないですからね(笑)。

当時も、フリー素材というと2ちゃんねるとかで「コラ(コラージュ)素材」なんて言われてバカにするような含みがあって。友人にも「そんなので食べていけるわけがない」と散々言われました。事故に遭って、お金になることをやらなきゃいけないのに、真逆のことをやっていましたから。

そういう人たちを見返してやろうという気持ちもあったんですが、フリー素材モデルという、顔を見せる仕事なのに個性を売ろうとしないモデルが多い中、僕はあえて“フリー素材モデル”として名乗ることで一つの職業のジャンルをつくることができると思ったんです。実際、3年くらい続けてみると、フリー素材モデルさんと言ってくださる人も増え、僕個人やこの職業を見てオファーをいただく仕事も増えたので、認知されつつあるのかなと実感しています。

――誰も名乗ったことがない領域だから、開拓してみようと思えたということですね。

僕は昔から人と競争をするのが嫌いなんです。競合がたくさんいる世界で戦い、勝ち抜いた方は稼げるチャンスはあるとは思いますが、僕はそっちのタイプじゃない。勝つのが難しい世界で戦うよりも、人がまだ挑戦したことがないところで自分が一番になれることを目指すほうが、その地位を維持しやすいですよね。

サスケさんが始めた「みちのくプロレス」だって、全日本・新日本プロレスという二大巨塔がある中で、地方の興行が成功するなんて言われてなかったんですよ。でも、今ではそれが広まって当たり前のように認知されている。今思えば、サスケさんのそういう新たなことを開拓する姿勢から影響を受けている部分は少なからずあるような気がしています。

後編に続きます

自分の遺影もフリー素材にするまで続けたい:大川竜弥さん【後編】

 

    
【プロフィール】
    
自称・日本一インターネットで顔写真が使われているフリー素材モデル。ユニクロの店員からライブハウス店長、WEB開発やプロレスラーで元岩手県議会議員のザ・グレート・サスケさんの付き人など、さまざまな職業を経験。現在はモデル以外にも、フリーランスのライターやプランナーなど多角的な活動を展開。
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